夢判断21「熱々のシチュー」p2

  
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熱々のシチュー



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anemone様
38歳 女性 既婚

タイトル/「熱々のシチュー」

anemone様

それが覚えておらず残念です。
シチューに関しては記憶が曖昧です。鍋は、日本の家庭では珍しいくらい大きいサイズではありました。
中身がいっぱいだと、一人でやっと持てるか持てないかというくらいです。
夢の中でも鍋は一杯で、熱々なのでこれは危ないと思ったのでした。

鈴木めいや

質問4)
漠然とした印象でも具体的な思い出でも結構ですが、シチューを思い浮かべたときの連想をお聞かせ下さい。

anemone様

食べ物としては好きです。連想はごく一般的なもので、食べると温まる、家庭的、煮込みに時間がかかるが調理はさほど難しくない、といった感じです。
以上です。
どうか宜しくお願いいたします。

鈴木めいや

anemone様、夢と解釈のサイト、鈴木めいやです。

送って頂いたご回答をもとに、「熱々のシチュー」の夢を解釈させて頂きましたので、参考にしていただければ幸いです。

繰り返しになりますが、夢の中のバスは、おそらく、ご本人が人生を楽しく進めていくための協調性のような心の働きをあらわしていると考えられます。

大型バスというこの心像は、ご本人の言葉にある

「現在の仕事は停滞期でして、それを打破する心のエネルギーが不足している気がします。一言で言うと最近ちょっとさぼり気味です。」

という状況を補償する働きを持っている可能性が大きいですね。
少なくとも、大型バスツアーというこの心像は、心のエネルギーが不足しているという現実とは対照的に、とても力強く前進していく集団行動のエネルギッシュな心像と言えます。
おそらくこの夢を見ることにより、不足しているような気力を多少は補われ、少しましになったのかも知れません。

夢の最も基本的な目的は補償作用にあり、そのときの偏っている何らかの意識の側面に均衡性をあたえ、全体的なバランスを整える機能を持っていると考えられていますので、この夢は、その基本的な機能をある程度確認することができます。

無意識は、そのような意識の状態の均衡性をはかる試みとして、このような夢を産出したと考えられます。そのような意味で、これは肯定的な夢であるとも言えます。

そしてこの夢では、そんなバスツアーをしている最中に、そのバスから降りているときの場面がよく目立ちますね。
このことは、エネルギーが不足していると言う私生活での現状をそのままあらわしているとも考えられますが、別の意味では、
「大型バスツアーのように人生を集団で楽しくつき進んでいくのも良いけど、そこから降りて、現実的な心の側面とシッカリと向き合うことも大切なことだよ」
と語っているかのようでもあります。

【 夢判断 】
「集団(共同体感覚)から降りたときの心境」について語られた夢

そして、ご回答頂いたものの中に、

「バスのツアー客の他の人々は今回偶々一緒になったという感じでした。バスツアーというのが何か偶然に一緒になった人々というイメージです。」

とあります。
この乗客たちは、ご本人の意識からは少し距離のある(意識化することが出来ないくらい)無意識の遠い何らかの諸要素の集まりであると考えることができます。
その諸要素は、知らない人物として人格化されており、それはバスツアーとして象徴されている「人生を楽しんで進んでいくため」には、彼らは必要な諸要素であると言えるのかも知れません。

まず、この夢の全体的な文脈を汲み取るために、この夢を大きく分けると、

場面 1)
高台で海を臨んでいると、ツアー客に呼ばれ海水浴をしていないことを残念に思う

場面 2)
Aさんがよく知っているらしい岩の急斜面の下に、みんな降りていかなければならない

場面 3)
高速道路のサービスエリアのようなところで、Bさんと一緒にトイレに向かう

場面 4)
乳児を抱いた女性がいる総合病院で、熱々のシチューを運ぶように頼まれる

の場面に分けることができます。
そして、この文脈を作ったモチーフを解釈すると、

1) 夢の中の自我が、海という自然な状態(無意識)に還り、退行的な状態に浸りたいけど、その気持ちを押し切ってバスツアーという集団行動の輪の中に向かう。
すると↓

2) バスから降りて、厳しい現実的な心の側面と向き合い、現実を掘り下げていくためにその岩の斜面を降りていかなければならない状況となる。
すると↓

3)これから真っ直ぐに向かうであろう人生の道のり(高速道路)に入る前に、何らかの心の問題を解決しようとトイレに向かう。すると↓

4) シチューという家庭的で温かい心のエネルギーを、その心の問題に運ぶよう迫られる。

という無意識下の描写を汲み取ることが出来ます。

ごく一般的に、人はだれでも、母性的な無意識(この夢では海水浴)へ退行してずっと甘えてラクしていたい気持ちを押し切り、一般社会に適応していかなければならないといった心境を経験するものです。そしてこの夢の最初の場面は、そのような心の働きがモチーフ(動機)となっているのではないかと感じられます。

次の場面の岩が連なる地形は、ザラザラした感触であり、とても居心地の良い場所ではなさそうです。一般的に、夢の中では空などの高い位置は精神や空想を、そして地面や下のほうは現実的な要素をあらわします。
つまりこの場面は、「バスという協調性の輪から降りたときは、ザラザラした岩のような現実的な情況となる場合があるぞ、という比喩表現のように思われます。

この夢の面白いところは、頂いたご回答の中に、

「秋に旅行を妹と企画しているということはあります。妹とゆっくり話す時間を持ちたいという動機です。
お互い忙しいので週末のごく短い旅行となりそうです。」

というところがありますが、これは、夢の言葉で言う、バスという協調性の輪の中(普段いる職場での仕事)から降りて心の現実と向き合っている、といった状況と一致するように感じられるところが面白いですね。
つまり、「お互い忙しいので〜」
というこの状況は、
「お互い、所属している社会的な人間関係の輪の中にいる時間が多いので〜」
という言い方に換えることもできますが、そのような普段の仕事が、もし、高速道路を走る予定のある大型バスツアーのように、少し楽しい共同体感覚を伴なっていると仮定すると、

「妹とゆっくり話す時間を持ちたいということが動機で、秋に旅行を企画している」

というこの現実は、夢の中で大型バス(普段所属している協調性)から、降りたとき心境とピッタリ一致するとは考えられないでしょうか?

もしそれが間違いであるとすると、妹さんとの旅行の他に、大型バスツアーで象徴されている心境から、降りたときに感じている少しキビシイような現実的な心の側面を持ってるのかも知れませんね。

そして、そんなザラザラした岩の連なる地形に急斜面があらわれ、無意識下のさらに深い心の現実的な側面に降りていかなければならないような状況となります。
その現実的な心の側面に関しては、ご本人が持っているAさんのような男性的な要素と関係があるようで、Aさんとして表現されている男性的な性格の要素は、その厳しい現実のことをよく知っているようです。
ご本人がなさっているAさんの説明によって明らかであるように、夢の中のAさんは、否定的な男性的要素(意識の形態に害を及ぼすような、ご本人の内面に潜在している劣等な男性的な要素)と考えて良いでしょう。
ですが、これからみんなで降りていくべき急斜面は、ご本人がキチンと向き合って降りていくべき現実的な心の側面であって、それはその男性的要素と深く結びついているようです。

その急斜面を降りていくという作業は、多少の心理的な危険性を伴ないますが、「まあ気をつければ大丈夫かな」と思える程度のもののようです。
このことは、少しキツイような現状を、楽観的に捉えているような心境について描写しているとも考えられます。

そして次の場面では〜

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