夢解釈22「二匹の大蛇」の2ページ目

職場での適応上、心の変化を支える
ために必要な要素について語られた夢

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ゆり様
35才 女性 既婚 会社員

タイトル/「二匹の大蛇」

無料ワンポイントでの夢解釈⇒ bbs698(二匹の大蛇)

あるいは、蛇は穴の中というどんな知恵や宝石が隠されているか分からないような薄暗い中から、ニョロニョロと這い出てくる生き物、ということから、隠された知恵などを象徴する場合もあり、医療を施すには、蛇がもたらすような知恵を必要とする、というニュアンスも含まれているのかも知れません。

つまり、今回送って頂いた「2匹の大蛇」の夢にでてくる蛇も、それと同じような象徴的な意味合いが含まれている可能性を考えることができます。

ゆり様がワンポイント解釈からヒントを得て行なったご本人の解釈は、私にも適当なものだと感じられます。

一番大切なのは仕事上でどうこうということではなく、本当に信頼できる身近な人を大事にしていくことと思うようになりました。

とおっしゃって頂いておりますが、そのような意識へ至るまでの移り変わりを(あるいは、その意識の土台となっているような、もう少し根本的な心のあり方の変化を)支える何らかの心の要素が、2匹の大蛇という心像によって表現されたのではないかと考えられます。

【解釈】
仕事場での適応上、心の変化を支えるために必要な
何らかの要素について語られた夢

その何らかの要素とは、多くの意味合いがあり、母性的、女性的なもの、薬と毒、あるいは再生などです。
そしてこの夢はまず、わたし(夢の中の自我)がドブ川のそばにいるという場面からはじまります。
一般的に、夢の中の川は、違う世界を仕切るもの、あるいは、大きな内的な変革をもたらすような、渡るべき人生の大きな障害物、といったニュアンスであらわされる場合があります。
ですが、この場合、「足を広げてひとっ飛び位の幅」程度のものでしかありませんので、そのような意味合いは弱いものと思われます。
それはやはり、情緒的な人生の流れの中には、このドブ川のように、濁ってしまっているような側面もあるぞ、という心の状況が表現されているものと思われます。
その両脇にたくさん生えている雑草という心像は、放っておいても自然発生的に勝手に生えてくるような、雑念などの生命力をあらわすのにピッタリなものであるように感じられます。
わたし達は誰でも、否定的な情緒が働いてしまっているときという状況では、雑念などの雑草のような自然な生命エネルギーが生じやすいものではないでしょうか。

するとそこから、2匹の大蛇がこちらに向かってきます。

それは、色は濃い灰色で、限りなく黒に近いがクリアな感じがなく、汚いので、それだけ太古的な無意識下の領域に長く居座り、クリアな感じのしない(つまり意識の光のあたらない)側面に身を置いていた心の要素、ということが、そのような心像として表現されたのかも知れません。

また、夢やおとぎ話などに出てくる「2」という数字は、何らかの相対的な2つの側面が、ワンセットとしてあらわれている場合が多く、それは例えば、一つだけではバランスが保てないような、男性的な要素と女性的要素(父と母)であったり、善と悪、あるいは裏事情と表事情であったりします。

そして、一つの可能性として考えられることは、この夢の中の2匹の蛇は、もしかしたら、1匹は触れてはいけない危険な毒性、もう1匹は再生の意味合いを持つ肯定的な治癒の意味合いがあるのかも知れず、2匹ではじめて相対的にバランスの取れたひとつの要素となります。

やや不当な理由で不本意な部署に異動させられてしまい、このドブ川で表現されているような否定的な情緒的な心の流れの近くにいたものは、そのような2匹の大蛇なのかも知れません。

すると、いつの間にか子供の頃住んでいた実家の居間にいて、そこに大蛇2匹と両親がいます。

現実には、そこには4歳から11歳というとても幼い頃に暮らしていた家とのことですので、夢の中のこの場面は、ご本人のいまの人格(基本的な言動や行動のパターン)の基礎を作っているような、基本的な心の側面であり、いまのご本人の基本的な性格の土台となっているような、古い心の領域をあらわしているものと考えることができます。
そしてそれは、ご本人の、“心そのもの”の心像風景であるとも言えるでしょう。

無意識がこの「昔の家」を夢に登場させた理由は、現実には不安定となっているような心の状況のなかで、自分が持っていた本来の心のありようと向き合う必要があったから、ということのように感じられますね。

もし間違えていたら申し訳ありませんが、現実に忙しく、本来、ご本人が持っている自分らしい心のありようを見失いがちな状況の中で、無意識は、「昔の家」という心像を産出することにより、そのような意識の状態は補償され、良い状態へと保とうと無意識は試みたのかも知れません。
夢の主な仕事は、バランスの崩しやすい意識の状態の欠けている(無意識的となってしまっている)側面を補い、補償して、より良い心の状態に整えようという試みることにあると考えられています。

無意識は、「2匹の大蛇」―「昔の家」―「母親」という一連の心像を産出することにより、過酷な意識の状態を、何とかして整えようと試みたのではないかと思います。

そのように考えると、夢の中の居間で、母があらわれた理由も、ボンヤリとではありますが見えてきますね。

記憶なので正確ではないかも知れませんが、例えば、「生きてこそ」という実話の映画のなかでは、飛行機が雪山に墜落して生き残った人々が、心身ともに飢えに苦しんでいるときにこんなセリフを言うシーンがあります。
「不思議と、頭に浮かんでくるのは母親のことばかり…」

わたし達は誰でも、心が否定的な状況にあるときに最も助けとして必要としているものは、母性的・女性的な何らかの要素なのかも知れませんね。

そして、夢の中でそのような役割を担う母親は、小さい子蛇を指に絡めてもてあそんでいます。
その小さな蛇は、乾いて埃っぽい2匹の大蛇(つまり、その蛇は乾いていて無機的な機能を持っていることを示している)イメージなら、子蛇はつやつや、ぬめぬめしたイメージです。

これは、それが蛇であるにもかかわらず、生々しい有機的な生命体のイメージであり、母親・母性という温かい心像と結びつくには、無機的な冷たい要素は似合あわないのでしょう。
母親という暖かい家庭を司るその心像は、そのようなつやつや、ぬめぬめした要素と関係しており、その小蛇もやはり、心の変化を支えるための力を象徴しているものと思われます。

昔の家の居間にあるマッサージチェアーも、「体をマッサージして癒すためのもの」という少し気疲れしてしまっているような意識の状態を補償するために生じた心像であると思われます。

また、もう一つの可能性として考えられる解釈としては、もし私生活での現状が、家庭などの女性的な働き(感情の豊かさ、柔らかさ、受身の姿勢、他人との関係性、自然性、身体性、無意識性など)が少し欠けていて、仕事などの男性的な働き(知的な判断力や決断力、理性や自立性、創造性、論理性、発言力、合理性、意識性など)ばかりが意識の主体となってしまっているような生活を送っていると仮定すると、そのような意識の状態を補うために、柔らかな身体を持った蛇や母親という女性的な心像が発生したのかも知れませんね。

蛇とは、合理的な常識をもつ意識という観点から見ると、手足の無い気味の悪い生き物に見えまるので、夢の中ではあわててリビングから抜け出し、廊下に出てしまっていますが、自然という非合理な形態を持つ無意識から見ると、蛇は肯定的な要素を表現することもできる生き物なのです。

この夢の文脈は、はじめに否定的な心の状況を見せておき、そしてその状況を補償するための場面へと移り変わるような流れを持っています。

そしてこの夢は、心の大きな移り変わりによる不安定な意識の状態を、より良い状況にするために補償しよう、という働きを認められるという意味においては、肯定的な夢であると言えそうですね。

このように解釈させていただきましたが、いかがでしょうか?

ゆり様

鈴木先生、こんにちは。
詳細な御鑑定をいただきまして、まことにありがとうございました。
思い当たる点がいくつもあり、非常に参考になりました。
川辺の雑草のように、左遷させられたことによりいやな考えから逃れられないこと、家に帰って主人とコミュニケーションを取りたくても仕事についての不安が心をよぎってしまったり、口を聞く気力もなかったりすることなど自分の日々の生活の貧しさについて、しみじみ反省させられました。
あとひとつ、ご質問差し上げたい点がございますので、ご確認のほど、よろしくお願い申し上げます。
まず、この夢のメインの登場人物(?)である大蛇2匹についてです。御鑑定内容では、この大蛇について、

・クリアな感じのしない(つまり意識の光のあたらない)側面に身を置いていた心の要素、ということが、そのような心像として表現されたのかも知れません。
・ひとつの可能性として考えられることは、この夢の中の2匹の蛇は、もしかしたら、一匹は触れてはいけない危険な毒性、もう一匹は再生の意味合いを持つ肯定的な治癒の意味合いがあるのかも知れず、二匹ではじめて相対的にバランスの取れた一つの要素となります。
・乾いて埃っぽい2匹の大蛇(つまり、その蛇は乾いていて無機的な機能を持っていることを示している)

と、あり、母がもてあそんでいた子蛇と対比するような形で解釈されていました。
そして、解釈の中で、下記のように、母と子蛇が非常にクローズアップされている印象を受けました。

もし私生活での現状が、家庭などの女性的な働き(感情の豊かさ、柔らかさ、受身の姿勢、他人との関係性、自然性、身体性、無意識性など)が少し欠けていて、仕事などの男性的な働き(知的な判断力や決断力、理性や自立性、創造性、論理性、発言力、合理性、意識性など)ばかりが意識の主体となってしまっているような生活を送っていると仮定すると、そのような意識の状態を補うために、柔らかな身体を持った蛇や母親という女性的な心像

上記の解釈は、まったくもってご指摘通りだと思います。
とはいえ、当初お送りしたメールで言葉が足りず申し訳ありませんでしたが、夢の中で非常に印象に残っているのは、母の子蛇よりはやはり大蛇2匹です。
子蛇はあくまで脇役という印象です。
そして、その大蛇2匹は、1匹は母の傍ら、もう1匹は父の傍らにいて、マッサージチェアのほうに寄ってきたのは父のほうにいた蛇でした。
さらに、私が居間から逃げたしだにも関わらず、その蛇は両親と一緒に居間に居ついています。
この大蛇は〜

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