夢解釈37「赤ちゃんになった母」の2ページ目

「無意識下に鬱積していた母親という複雑な観念や感情の複合体の
別れと結合」をあらわした夢

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2014/06/17 〜 06/29


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pena様
51歳 女性 看護師 産業カウンセラー

タイトル/「赤ちゃんになった母」

鈴木めいや

pena様
ご回答を頂きましてありがとうございます。

分析心理学では、基本的に、わたし達が見る夢はすべて、その人の何らかの状態に偏った個性や意識の状態を補償する働きがあると考えられています。
また、もう少し簡単に考えてしまうのであれば、夢とは心の中の複雑な考えや感情などの要素を整えて、気持ちを整理するためにあるとも言えます。

今回送って頂きました夢は、

「悲しくて涙は出てきたが、開放した安心した気持ちで目が覚めた」

という場面で幕が下がります。

質問1)のお答えにもありますように、pena様は母に対する気持ちが少し複雑なところがおありで特に昔は母に対する感情の複合体が、少し大きかったのかも知れないと思いました。

その複雑な母という心像の感情や観念の複合体は、基本的には苦々しい要素であったのかも知れませんが、それは切り離したくても離せないような、「情」のような結びつきも持っていたはずです。
ここで言いう情による結びつきとは、実在の母親に対してではなく、昔から自分自身のなかで築き上げてきた内なる感情や観念の複合体に対してです。

ですが、長い年月を経てきたなかで、いまではそれに対する考えも方もだいぶ整理されてきているような側面もありそうです。

夢の結末で涙を流し、開放され安心した気持ちで目が覚めた理由は、
「母親の心像という今までは深い情で結ばれていた複雑な観念や感情の複合体の、別れと結合」
をあらわした夢であるからと考えることができます。

解釈/
「無意識下に鬱積していた母親という複雑な観念や感情の複合体の、別れと結合」
をあらわした夢

はじめの場面から見ていきましょう。
夢のなかの

「障子は開いたいくつもの部屋には多くの好色そうな老男女が布団に入っているのが見えた」

という場面は基本的に、正反対の性格の要素が、いつでも結合し安定した状態になる状況にある、ということをあらわしています。

そして

「古い温泉宿の廊下を通り、露天風呂に夫と娘と私で入っていた」

という場面は、無料の掲示板でも触れましたが、例えば一般的に、美しい景色を見たり、純粋なものに触れたりしたときに、「心が洗われたような気がしました」などと言うことがあります。
温泉や入浴の心像はそのような浄化のイメージと関係する場合が多くあります。

そして水とは、状況によっては熱くもなり冷たくもなり、また熱くなりすぎると蒸発して掴みようのない気体となり、冷えすぎれば氷という固い個体にもなりますので、人間の感情を表現するにはぴったりと言えます。

夢のなかの露天風呂は水路のように流れています。
普通、風呂とは溜まっているお湯ですが、この夢では、流れている、という心像によって心のなかの何かが表現されています。
それはもしかすると、いままでの人生における暖かい感情や情緒の流れ、のようなニュアンスがあるのかも知れません。

また、

結婚当初から温泉とドライブが好きで、かなりの回数行きました。子どもたちの成長ととも密接です。「あれはあそこに行った時だから……」と記憶をたどるメジャーのようなものにもなっています。

とのことですので、夢のなかの露天風呂という心像は、あなたの現実的で個人的な心の側面と関係しており、何らかの外的で現実的側面と関係していると思われます。

そこは連想傾向にもあるように、社会的な側面や仕事をしているときの心の働きとは一切関係がなく、家族やくつろぎ、ありのままの素の状態であるときの心の働きと関係があります。

また、夢のなかの露天風呂に入っている場面は、旦那さんや娘さんで連想されるすべての要素に対して、心を清めており、日頃の雑念やイヤな気持ちなどを洗い流して浄化している、という意味合いがありそうです。

そのような象徴的経験を経ると、次の場面では、高齢の母親が飛んでくるようにきて、娘さんが「おばあちゃん天使の輪があるよ」と言います。

無料掲示板でも触れましたが、これはもしかすると、キリスト教や仏教に登場する光輪と同じイメージのものかも知れません。
このようなヌミノースな元型的なイメージを匂わす心像が生じるということは、人生や精神的な過渡期、あるいは現在まで過ごしてきた精神遍歴のふし目にある、ということを示唆しているのかも知れません。

そのような母親をまずはじめに見つけるのは、あなたでも旦那さんでもなく、娘さんです。
このことは、あなた自身が持っている“娘さんのような性格の側面”を通して、母親の心像が接近してきたことを意味します。

つまり、母親という心像(複雑な観念や感情の複合体)は、あなた自身のなかにある「努力家で寂しがりで、失敗しても克服するし、おしゃれで仏頂面だけれど思いやりがある」ような性格の側面に対応しています。
また、夢のなかの母親という心像は、あなたが娘さんくらいの昔の時代と関係している、という考え方も出来ます。

そして夢はクライマックスに向かいます。
母親は「あんたに頼みがある」と夫の背中に座ったかと思うと、みるみる赤ん坊になります。

広く一般的に、社会的な心の側面においては父性が大きな役割を演じる場合が多いのですが、今回の夢は、旅館という家庭的な側面について語られている夢であると考えられます。
このような領域においては、父性や男性性は軽視されてしまっているかのように、あるいは母親という存在が大きすぎて男性的要素など尻に敷かれてしまっているような状態にある、とでも言いたげに、母親は夫の背中に座ります。

ですが、無意識下ではいままではそのような偉大な印象のあった母性像は、みるみる赤ん坊になってしまいます。

つまり、かつてまでは偉大であり、複雑な感情や観念の複合体であったその心像は、心が整理されてきた現在となっては、もう赤ん坊のようなもに見えている、ということをあらわしているのかも知れません。

そして基本的に、夢のなかの赤ん坊は、上手な愛情の注ぎ方によっては、将来大きく発展していくであろう何らかの可能性をあらわす場合が多くあります。
それは、いまはまだ未熟ではありますが、大切に育てるべき心のエネルギーの固まりのようなものです。

夢のなかの赤ちゃんは、心理学的な性格類型から見ると、その夢を見た人の未発達な性格の側面(劣等機能)をあらわす場合もあるのですが、今回、添付させて頂きました心理問診チェックの結果では、pena様の場合、大きくマイナスとなっている性格の側面は見当たらず、意識の領域において、それぞれがバランスよく機能しているように見受けられます。

なので夢のなかの赤ちゃんは、あなたのなかの未発達な性格の側面というよりも、やはり、母親という心像で象徴している母性的な何らかの発展の可能性について、表現されていると思われます。

このような、母親が赤ん坊になってしまったということは、無意識下では様々な感情や観念で母親のことを見ていた自分自身との「別れ」をも意味します。

そこには大きなエモーションが沸き起こり、悲しくて涙は出てくるのですが、それは基本的に否定的でイヤな感情や観念の複合体との別れですので、解放した安心した気持ちにもなったのでしょう。

また、「あんたに頼みがある」というセリフを最後に残して腕のなかに消えていく、という結末は、ずいぶん意味深ですね。

このことは夢の文脈通りに解釈するのであれば、ご本人の“意思”を象徴している腕に、母性的な可能性が宿った!
あるいは、かつては心的複合体(コンプレックス)として猛威をふるっていたその心像は、いまではもう私の腕(意思)のままとなった!
という意味合いを汲み取ることができるのかも知れませんね。

最後に繰り返しとなりますが、この夢は、
「無意識下に鬱積していた母親という複雑な観念や感情の複合体の、別れと結合」をあらわした夢
と言えそうです。

このように解釈させて頂きましたが、いかが思われますでしょうか?

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