ユングのタイプ論p3

  
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ユングのタイプ論



ユングのタイプ論によるディスカッション 3ページ目

みよし様
36歳 女性 既婚

わたしの考える主機能の調べ方とは、全く単純なものです。つまり、ユング博士の言う4機能のうち、すべてを使わなければならない環境に身を置いてみるということです。
例えば、バーベキューなどを兼ねて河原にテントを張り、なるべく多くの人数で、二泊三日ほど寝泊りするとします。それを月に1回とか半年に2回と決めて、習慣的な行事にするとします。
すると、河原に行く前に、みんなで役割分担やルールなどを決めなければなりません。

Aさん達はテントを組み立てて、Bさん達は買出しに出かけ、Cさん達は料理の準備をして下さいというようになります。

おそらく、はじめのうちは初対面同士の人とかもいて、多少ギクシャクとした雰囲気から入るでしょう。なので、主機能はあまり関係なく役割分担を振り分けられることになります。

ですが、そのキャンプをはじめてから一年が経ち、二年もすると、自然とみんな打ち解けてきます。
するとどうでしょう、始めたころはAさんがテントを組み立てていたのが、いつの間にかCさんが組み立てることが多くなっていたりします。
つまり、生まれつき、先天的な感覚タイプの人は、既存の形式に則った具体的な手作業が何よりも得意なので、自然と感覚的な作業をするようになるのです。
そして、先天的な思考タイプの人は、キャンプの生活における様々なデータをかき集め、なにをどのようにすれば、より合理的に楽しく生活できるかという客観的な情報を、グループにもたらすようになります。
先天的な感情タイプの人は、いわゆるそのグループのムードメーカーで、もし気まずい空気になったら、その空気を和ませるのは、いつもこのタイプの役割です。

そして、感情面に優れているこのタイプの人は、お隣さんから調味料を借りてきたり、ケンカをしている2人の仲を取り持ったりすることが出来ます。
また、夜の花火などで、みんなの雰囲気が少しづつ高まり、心が一つになると、直感タイプの人は、その全体の空気をうまく嗅ぎ付け、そのグループの話のパーソナリティになったりします。
このタイプの人は、基本的に飽きやすく、具体的な手作業はあ

まり長続きしませんが、全体をまとめたり、少しマンネリ気味になっている古い体勢を壊して新鮮な空気を送ったりするのは、いつも直感タイプの人なのです。
つまり、河原などで不便なテントの生活をしていくためには、どうしても4つの心理機能のすべてが必要になってきます。そして、時間が経つにつれて、先天的なそのタイプが、自然と自分に合った役割を持つようになるものなのです。
具体的なこのやり方は、レントゲンや諸症状などで内臓の状態を憶測するのではなく、皮膚を切って直接その中を見てみるということと同じように、先天的な主機能や劣等機能をハッキリさせる唯一の方法ではないかと考えています。
もし、実際にはそのような不便な生活に身を置くことが不可能でしたら、「自分はどの役割なら、ストレスも無く伸び伸びと生活していけるのか?」ということを想像してみるのも良いかと思います。
そして、そのようなキャンプや田舎での不便な生活というのは、劣等機能と向き合う良いチャンスにもなり得ます。

例えば、感情が劣等な思考タイプの人の場合、必ずと言ってよいほど、泣いている子どもを泣き止ませたり、慰めたりしなければいけないような状況に出くわすものです。
彼はそのようなときは、感情が劣等なので、困った顔をして何も出来ずに、ソワソワとしているだけになりがちです。というのは、泣いている子どもには、いつもの合理的な思考など通用しないからです。

ですが、そんな彼もだんだんと自分の中にある感情の働かせ方を学んできて、「大丈夫だよ」と優しい声をかけることが出来るようになるかも知れません。

また、感覚が劣等な直感タイプの人は、必ずと言ってよいほど、ジャガイモの皮を向いたりしなければならない状況がやってきて、苦手な感覚を働かせなければならなくなります。
直感が劣等な典型的な感覚タイプの人も、「ただ目の前で起こっている出来事だけが世の中の全てではない」ということを身を持って知ることになるものです。
わたしは経験上、そのような、電気もテレビもない、テントやバンガローなどでの生活が、個人をひどく劣等機能と対峙せざるを得なくなするものであるかということを、よく知っているつもりです。
余談ですが、ちなみにこのことは、東京などでの便利な生活が、個人個人をなにか一つの機能に極端に偏らせる傾向を持っていることも意味します。

例えばわたしは、アキバ系は内向的感覚に極端に偏ってしまっているタイプが多いと考えていますが、都心から離れた地方には、アキバ系の人のような、極端に一機能に偏っているタイプの人を見つけることはまず出来ないでしょう。実際に、そのような人は地方にはいないのです。

言葉に訛りのある田舎の人は、情報は少し遅れていても、4機能という意味ではバランスの良い人が多いように思います。
ですが、東京の人は、極端に偏った思考タイプの人や、極端に偏った直感タイプや感覚タイプの人はあまり珍しくありません。
このことはおそらく、東京は便利であるが故に、自分のお好みの機能だけ働かせていても十分生活が可能であるということを意味しているように思われます。
ですが田舎で生活するとなると、そうは行きません。
もし、テレビやラジオが壊れたら、簡単に業者の人など来てくれませんので、自分で直さなければなりません(つまり、感覚を機能させなければなりません)。
もししょう油などがなくなったら、車で何時間もかけてコンビ二になど簡単には行けないので、ご近所さまにお世辞の一つでも言って、しょう油を借りてこなければなりません(つまり、感情を機能させなければなりません)。
ですが東京では、苦手な心の働きは全て他人任せで用が足りてしまいます。その結果、極端な一機能に偏る人が多くなり、劣等機能はいつまでたっても劣等なままになってしまいやすいのです。これはあまり良いことではありません。
みよし様の場合、それほど極端に一機能に偏ったタイプではないと思われますので、もしテントやバンガローなどの生活に身を置いたとしても、劣等機能の影響によってひどいストレスにさらされるということは、あまりないのではないかという気もいたします。
そのような生活では、どのような役割も気兼ねなく器用にこなしていく方なのかも知れませんね。

みよし様

実はここ数日、「ユングのタイプ論」を少しずつですが読んでおります。
そこに、本人の自己申告はあまりあてにならないというようなことが書いてありまして、心せねばならないのでしょうが、「構え」のご説明を読んで思いますに、私はやはり元来は内向的な傾向が強いように思いました。

「外側の出来事は、基本的にすべて心の状態に色合いを与えるための二次的なものに過ぎない」

というのは、幼い頃〜若い頃に顕著であったようにおもいます。
また、私が「直感タイプ」の傾向があるというご指摘は、考えてみたのですがその通りとおもいます。

野生に近い生活は、実際には無理なのですが思考実験してみますと、例えば小学生くらいの私でしたら自ら仕切り屋を買って出たり、火を起こしてその番をしたり、物が皆に行き渡っているかとか何か不愉快な思いをしている仲間がいるかどうかとか注意を払ったり、ということは積極的にはやらなかったと思います。集団にあまり問題がなければ、怠けていると見られない程度に誰かの手伝いをしながら、暇になれば何かそのへんに面白いものはないかとぶらぶらしたりしそうです。勿論集団に何か問題が発生すれば、どうしたら解決できるかと一生懸命工夫するだろうと思うのですが・・・・
あと、実生活上どうしても治らない悪癖として、

# 時々ぼんやりしている(ようにみえる)。対話中、人の話を聞いてなく突然違う話を始める(といわれるが本人はちゃんと聞いているつもりだったりする)。

# 本などを読んでいたり考えに耽っていたりして、時々電車を乗り過ごしたり乗りそびれたりする。

# 運転歴10年近いのに、車の運転が下手でよく傷をつくる。しかもいつぶつけたか本人は覚えていない。

# 方向音痴で迷子になりやすい。一人で行動するときは十分下調べをして迷わないようにするが、集団行動するとつい気を許してしまい、よくはぐれる。

これらのことは、直感タイプである(結果、感覚を働かせることを怠りがちである)がゆえの欠点では、と思うのですがどうでしょうか。
あと「ユングのタイプ論」に、夫婦は互いに相補的な相手を選ぶことが多い、と書いてありましたが、私の夫はおそらく「外向的感覚タイプ」ではと思います。そのことを考えても、私は基本的には内向的直感タイプということで合っているのかも、とおもいます。

さて、私の生得的な傾向が「直感タイプ」であることはほぼ納得いたしましたが、以下のような疑問があります。

1) 私の劣等機能は「感覚」ということになると思うのですが、「ユングのタイプ論」に「劣等機能が最も無意識に近いところにある」ということが書いてありましたが「感覚」がいちばん無意識に近いということがもうひとつよくわかりません。

2) また、「劣等機能に関することで、人は感情的になりやすい」と書いてありましたが、このことも私自身に関してはもうひとつよくわかりません。

3) 私はおそらく他の「思考」「感情」機能も少しは成長させているようではありますが、これらを「同様に、バランスよく」育てることは可能なのでしょうか。

4) 私の主機能であるらしい「直感」ですが、これが自分の中で働いているという実感があまりありません。それは、私にとって当たり前すぎるからなのでしょうか。それとも、他の機能を育てようとして、「直感」機能自体はやや損なわれているのでしょうか。あまり、自分自身の「直感」によって恩恵をこうむった記憶がないのですが・・・・

鈴木めいや

今回、頂いたメールに上げている「実生活上どうしても治らない悪癖」ですが〜

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