ユングのタイプ論p8

  
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ユングのタイプ論



ユングのタイプ論によるディスカッション 8ページ目

みよし様
36歳 女性 既婚

としたほうが妥当であるように思います。それ以外は、わたしも同感です。
また、

あまり本人自身の努力は関係なく、したがってこのような第一のパターンの「未分化性」の獲得は人格の成長以前に起こり、どのような文化の中で育つかということだけが決め手となると私は理解しているのですが、それでよろしいでしょうか。

とのことですが、もちろん、文化の上には一つの家族の背景もありますが、基本的には、わたしもその考え方です。
ですが、補足としてもう一つだけ付け加えさせて頂きますと、人格とはその個人の基本的な行動などのパターンを言うのであり、昔の日本人に多いように、自我が弱く、夫や目上の人の言うことにはあまり反論せずに、何でも「はいはい」と指示通りにしか仕事をしないような主機能/劣等機能の区別が未分化なタイプの人のことを、“そのような人格(行動などパターン)を成長させてきたタイプの人”という考え方があってもいいはずです。
例えば、自我の弱いこんな人がいたとします。
「わたしは、毎日、おんなじことの繰り返しの中で、なんの文句も言わずに、会社のために献身的に働いてきた。ただ淡々と、上司の指示に従うだけだった。まるで、お前はこれさえやっていればいいんだとでも言わんばかりに、毎日毎日、同じ雑用ばかりしてきた。そして、気が付いたらもう定年だ。わたしのことを、会社のいい様にされているだけのただの犬だという人もいた。

だけど、これがわたしの生き方なんだ」
彼は、いわゆる「Noと言えない日本人」であり、明らかに自我が弱く、あまり自分の意見というものを持たず、自己主張もほとんどなく、それ故に、主機能と劣等機能の区別が付きにくいタイプです。
ですが、彼のそのような生き方、つまり、そのような基本的な行動パターン(人格)を発達させてきた、という考え方があっても良いと思います。
それはそれで、ひとつの人格の発達であり、ひとつの成長のかたちなのです。
ですがおそらく、みよし様がここで使っている「人格の成長」という言葉は、そのような意味では使っていないと思われますので、これはその考えを否定するものではなく、補足です。
さて、次の、

「キャンプや田舎での不便な生活」が、何故「劣等機能と対峙させる」ものとなるのか、ですが、私は「危機的状況にあること」「そこから逃げられないこと(危機と向き合わずにはいられないこと)」がミソなのでは思うのですが、いかがでしょうか。生きるか死ぬかの場面では、苦手だの何だのとは言ってられませんから、必要な機能をがんばって働かせるしかない、ということなのかなと思います。」

わたしも全くその通りだと思います。
もう少し軽い考え方をしてみますと、例えば、何かのテレビ番組で、とあるキャンプのインストラクターが、「都会の人は、わざわざ不便な体験をするためにキャンプをしに来るのだ。不便という状況での体験こそが、何よりも楽しいことなのだ」というようなことを言っているのを聞いたことがあります。
この言葉は、心理学の言葉に置きかえると、
「無意識下で影となっている劣等機能を呼び起こすために、都会の人はキャンプをしに来るのだ。普段は眠っているその心の働きを呼び覚まし、精神全体に新鮮な風を送るために、キャンプをしたがるのだ」
と言っているのと、同じことかも知れませんね。
劣等機能とは、人に強制されると、ひどく面倒臭く感じ、長く続けるにはストレスとなり、辛くしんどいものですが、自分から興味を持って行なえば、とても真新しい新鮮な気持ちを体験することになるのです。
というのは、劣等機能とは子どもの頃からほとんど発達させてこなかった心の側面のことを言うのであり、興味を持って劣等機能を働かせると、まるで子どものような無邪気な心の状態になりやすいのです。
例えば、いわゆる「親父ギャグ」を連発して、ヘラヘラと楽しそうに笑っているおじさんがいたとします。
それを聞かされるほうは、何とも陳腐な感じがして、とても聞いていられないような酷いギャグだったりするものです。ですが、不思議と、親父ギャクを連発しているおじさんというのは、本人はとても楽しそうだったりするものです。
これは、社会で勝ち抜いていくために思考機能ばかり働かせていた思考タイプの男性が、歳をとってから、自分の劣等な感情機能に目覚めた証拠です。
彼は今、子どものような無邪気な劣等機能という新鮮な心の働きに、どっぷりと浸かっているのです。
それは所詮、今までは未分化であった感情の劣等な側面に過ぎませんので、聞かされるほうは、全くたまったものではありません。ですが、少なくとも心理学的には、彼は劣等機能と向き合っているのであり、これは肯定的な心の状態とさえ言い切れます。
このように、劣等機能とは、単に苦しいだけの側面のみならず、子どものような、無邪気で新鮮で楽しい要素をも備わっていると思います。
子どもは、無意識との関係性を強く持っているものですが、大人が持っている劣等機能もまた、それと同じように、無意識に直接関係する心の側面ですので、劣等機能にどっぷり浸かって楽しんでいる人というのは、まるで子どもの頃に戻ったかのように無邪気な雰囲気を持ちやすいようです。

〜最後に〜
今回、頂いたメールを読ませて頂いて感じたのは、やはりみよし様は、全体性を把握することを得意とする直感的な方であるような印象がありますね。
というのは、今回頂いた文章もそうですが、基本的にあなたが書かれる文章は、機能の全体(つまり、思考−感情、感覚−直感)を考慮したうえで、全体性を俯瞰して把握した結果、意識に浮かんだことを文章に起こしているような感じがします。
直感機能とは、抽象的な時間の流れや、総体的な、全体性を瞬間的に掴むような機能でもあるのです。そしてその全体性を前提にして浮かんできた何らかの表象なり可能性なりが、直感です。

これがもし、感覚タイプの方とのメールのやり取りであるとするならば、抽象的な理論には目もくれずに、具体的に実在する歴史上の人物や有名人などの名前を上げて、
「あの人はかくかくしかじかの傾向を持っているから、何タイプに違いないと思うのですが、いかがでしょうか?」
といった具体的な流れを中心に会話が進むものではないでしょうか?
典型的な感覚タイプの人は、一つ一つの事実を、具体的にじっくり見ていこうとするものであり、抽象的な理論だけでは物足りず、何事も具体的でなければ結論を下すことが出来ないものなのです。
ですが、典型的な直感タイプの方は、全くその逆で、具体的な事実だけでは物足りず、抽象的な理論が結論となりやすいのです。
そして、これまでのみよし様とのメールのやり取りを思い出すと、「私の旦那はこのような傾向があるのですが〜」といった具体的で感覚的な要素は、初めに少しだけあり、そのあとの文章は、基本的に全て、全体を前提としているような抽象的な理論であったような気がいたします。
これはなにも今回から始まったことではありませんが、これこそ正に、直感が主体になっている、ということではないかと思うのです。
さて、 みよし様とのメールのやり取りは、わたしにとってとても楽しいものとなりました。
ありがとうございました。
またなにかございましたら、お気軽にご連絡いただければ嬉しく思います。

みよし様

鈴木めいや様
こちらこそ、私の「自己洞察の旅」にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

「典型的な直感タイプの方は、具体的な事実だけでは物足りず、抽象的な理論が結論となりやすい」

とのご指摘は、目からウロコでした。
多分、直感はそれだけでは表現されにくいものなので、思考か感情かいずれかと結びついて言葉になって出てくるのではと思います。おそらく私の場合、幼い頃から「本の虫」で歳の割には語彙が豊富だったこともあり、自分が直感で感じたところのものを表現するために「考える」ということを繰り返すうちに、直感と思考が結びつきやすい傾向が形成されたものと思われます。
私は子供の頃からよく「理屈っぽい」と言われてきたのですが、私は自分が感じたままのことを話しているつもりだったので、どうして皆は私が面白いと思うことが面白くないのだろう?と不思議に思ったものでした。それも、そういうことだったのかなと思います。私は自分の直感したところのものに立脚しているのですが、それを持っていない人にとってはただの机上の空論にきこえたことでしょう。

一連のやりとりで、認識が深まり、自分をより肯定的に捉えることができるようになったとおもいます。
大変感謝しております。
ありがとうございました。

2009/06/17 (水)  〜 2009/08/06 (木)

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