夢判断19「中庭のシャチホコ」p2

  
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中庭のシャチホコ



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うさぎ様
49歳 女性 既婚

タイトル/「中庭のシャチホコ」

ここでは、もう既に自我に統合済みで、自分のものとしてコントロールが可能となっている男性的な要素(知的な判断力や決断力など)を働かせることによって、心の世界(平屋の中)を見ていきます。

夢の中の「娘の部屋」は、あなたがこれから育てるべき、女性的な心の可能性の一領域を象徴しており、息子の部屋は見てはいませんが、その部屋もまた、男性的な心の可能性の一領域をあらわしています。

リビングあるいくつかの健康器具は、心身の健康が配慮されているような心の状態をあらわしていると思われ、それがあることによって健全さに繋がります。

そんな状態にあることを示す健康器具を確認すると、自我(夢の中のご本人)は、心の中心へと向かいます。
つまり、

「中庭があり外に出ると手洗い場があり、その上(空中)に泥で出来たシャチホコが魚の胴体が下になって浮いて、しゃべっていた」

という場面です。

ここは、ユング博士のいう、「セルフ」という心の全体的な均衡が図られる中心的な領域を象徴していると考えられます。

そこには、手洗い場(水)という情緒的なエネルギーと繋がっていて、夢の中の手洗い場には、様々な心の嫌な要素(汚れ)を洗い流す効果があります。

シャチホコとは、姿は魚で頭は虎という想像上の動物です。そして、夢の中のそれは泥(土)で出来ています。

夢の土は、あらゆる生命の母胎であり、すべての命が生まれ育まれる土壌、母性的な母体のイメージが含まれている場合がほとんどです。
また、夢の中の魚は、無意識下で働いている生命力や心の営み、豊かさなどをあらわしますので、それらの様々な要素の集合的なイメージが、シャチホコなのでしょう。そしてそれは、神仏に近いイメージであるようにも見受けられます。

そしてこの夢のシャチホコは、ご本人(自我)とセルフの仲介役として登場します。

話している内容は忘れてしまったとのことですが、そんなシャチホコの話しを聞くことによって、普段はバランスを崩しやすい心に均衡を与えることが出来たものと思われます。

シャチホコによりセルフという本能的な心の働きが活性化して、精神性の高い状態を、より良く保つことが可能となるのではないかと思われます。
そしてその精神性の高さとは、「ひたすら前向きに思うことと感謝の気持ちを自分自身に言い聞かせる」ということから伺えますね。

するとその結果、
不必要な心の要素がその出て行きます。それが、夢の中では、

「再び家の中に入ると、家の端に古い建物がひっついていてその中から人が出て行っている(引越?)のが見えた」

という描写であらわされているのでしょう。
それは、ご本人が持っていた“出て行った人”のような心の要素の排出です。

最後に、この夢の文脈をまとめると、

1) 男性的な側面の案内によって精神性の高い領域を見てまわる。〔夢の中の、主人の案内で平屋を見る〕
すると↓

2) 女性的な心の要素の可能性や、心身の健康への配慮などを確認する。〔夢の中の、娘の部屋やリビングの健康器具を見る〕
すると↓

3) 均衡を調節する心の中心的な働き、セルフの領域へとやってくる。〔夢の中の、中庭に来る〕
すると↓

4) 何らかの心の要素が出て行く。〔夢の中の、古い建物から人が出て行く〕

という描写を汲み取ることが出来るかと思われます。

この夢は一言で解釈すると、「高い精神性を保とうとした結果、心全体の均衡性が図られた夢」であると考えることが出来ますね。

また、具体的にはどのような心の状態の均衡が図られたのかを考えてみるのも面白いかと思います。それはきっと、
「娘の大学受験の頃で、彼女がスランプに陥り」ということに関係がありそうですね。

少し抽象的な解釈になってしまいましたが、このように解釈させていただきました。いかがでしょうか?

うさぎ様

診断ありがとうございます。
順序を追って丁寧に説明くださり、その当時の心情が蘇ってきました。
少しお聞きしたいのですが、セルフというの本能ということなのでしょうか?
沢山の人が丘の上、(家の外に多くの人)が集まって きたのですが、

夢の中のこの人達は、ご本人が無意識下に持っている、“彼らのような”心の要素があらわされた像であると思われます。

と回答下さっていますが、自分の心の中に色々な考えがある。ということなのでしょうか?
お年寄りの女性が多かったようにおもいます。
再びよろしくお願いいたします。

鈴木めいや

うさぎ様、ご質問の返信メールを頂きまして、有り難うございます。

本能とは、本来、動物に使う言葉であって、人間に使う言葉ではないのですが、ユング博士のいう諸元型(セルフ、アニマ/アニムス、シャドウ、ペルソナ、グレートマザーなど)は、動物でいうところの、いわゆる本能と同じようなものと考えて差し支えありません。
それは、時代や人種に関係なく、人が人として生まれたからには必ず備わっている普遍的なものです。
例えば、グレートマザーの元型について考えてみると、子供は先天的に“母なるもののイメージ”を持って産まれてきます。それは例えば、白人の子供は母親を求める傾向が弱く、黒人は強い傾向にある、などということは絶対にあり得ないことであり、どこの国の人であろうと、また、いつの時代の人であろうと、人が人として産まれたからには、子供が母親を求める気持は必ず備わっているものです。
元型とは、そのような全人類に共通の、普遍的な心の傾向であるというところに特徴があります。
また、現実においてセルフの元型は、血の繋がりのある自分の子供であったりキリスト教徒にとってのイエス様の上に投げかけられます。それはセルフ(自己)であり、まさに自分自身ですので、何よりも掛け替えのない大切な存在となるのです。
そして、無意識下のそれが活性化すると心の均衡が図られ、精神的な健康に関係すると考えられます。

また、
「沢山の人が丘の上、(家の外に多くの人)が集まってきた」
という場面ですが、その要素は確かに、「自分の心の中に色々な考えがある」という考え方も出来るかとは思いますが、それは自分(自我)の近くにあるものではありませんので、そう簡単には、ご本人の意志によって意識の上に引き出せる要素というわけでもないと思われます。
その要素は、普段はほとんど意識されていない何らかの側面であり、そのような無意識的な要素が、夜、眠りについて意識レベルが低下したときに、無意識の底から様々な象徴的な表現をとって意識レベルにまで上がってくるのです。

そしてそれは基本的に、“普段は気が付いていない”無意識の要素ですので、意外な感じがする場合が多いようです。

また、

「お年寄りの女性が多かったようにおもいます。」

とのことですので、それは、人間として“完成された人格”のイメージなのではないかと思われます。
「人間と象徴(下)」という本の中でもよく説明されているように、セルフのイメージは、同姓のお年寄りの像としてあらわされる場合もありますので、もしかしたら、この夢は、中庭の場面だけではなく、はじめの場面においても、セルフの元型が活性化してきていたことを意味していたのかも知れませんね。
ですがそのお年寄り達は、平屋の中(意識領域の中)には入ってきませんので、ご本人の意識からは少し距離のある心の領域での出来事についてあらわされているのでしょう。
いかがでしょうか?

うさぎ様

鈴木様
度々の回答ありがとうございます。

いままで夢は占いのように解釈していましたが、心理学の夢判断は、目から鱗でした。

平屋が心の領域、中庭が中心、言われてみればすべて腑に落ちます。
シャチホコは特に気になっていて、関西弁で喋っていたのですが、何を言っていたのかどうしても思い出されませんでした。
あの頃の私は、娘のことを考えて前向きにと必死でしたが、今振り返ってみると、すべて未熟な自分との対峙だったと思います。
そして夢が心のバランスをとってくれていたのかな。と納得しています。
ほんとうにありがとうございました。

返答が遅くなって、すいませんでした。
うさぎ

2009年06月04日 〜 2009年06月11日頃

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