夢解釈20、「部屋を荒らした鶴」の2ページ目

「男性的な要素への変容」を
あらわした夢

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でめこ様
30歳 女性

また、もし間違えていたら申し訳ありませんが、夢の一番の目的は、バランスを崩しやすい意識の何らかの側面を補償することにありますので、2回も鶴の夢をみたということは、でめこ様は、海外にでもどこにでも自由に飛びまわれる鶴のような直感的な心の働きを強く欲しているにもかかわらず、それが少し欠けてしまっている可能性が考えられます。
鶴の夢を見ることによって、無意識はそのような意識の側面の補償を試みたのかも知れませんね。

そして、この夢の文脈についてですが、夢の場面を大きく分けると、

1) 実家にいる
2) 突然、庭に鶴が舞い降りてくる
3) その鶴が部屋を荒らし、そこらへんにあるものを食い散らかす
4) その鶴は足を大怪我していることに気が付き、治療をする
となります。

夢の中の実家は、おそらく、ご本人が一番いつもの自分らしくあるときの意識の領域をあらわしており、ダイニングは、一般的に食事を楽しむ部屋なので、心(あるいは自我)のエネルギーや栄養を蓄えるための部屋(意識領域)をあらわしているものと思われます。

そして、夢にあらわれた鶴(無意識下の自由で高貴な直感的な側面)は、よっぽどお腹が減っていたようで、エネルギーを蓄えるためにそこらへんにあるものを食い散らかすのですが、そのお陰でその意識の領域はひどく荒れてしまいます。

わたし達はだれでも、とり止めもない直感が浮かびあがってきたとき、すこし動揺し戸惑うことがありますが、夢の中のこの場面は、そのようなときの意識の状態と似ているかも知れません。
ですがそれは否定的なものではなく、高貴な生き物という肯定的な要素によって荒らされ、戸惑います。

すると、その鶴は足を大怪我しています。
一般的に、足は大地という現実をしっかりと踏まえるためのものですので、夢の中の足は、現実との関わりや、人生の道のりを一歩一歩進んでいくためのもの、というニュアンスを含む場合が多くあります。
そしてこの鶴は、現実を踏まえるための部分を、ひどく傷めてしまっているようで、治療を必要とします。
ですが、「治療をする」ということは、治る可能性が高いということだと思いますので、地面(現実)に足を付ける能力に関しては、時期がくれば治るということでしょう。

そして、その2,3日後に、また鶴の夢を見たということは、ご本人の日常の生活において、
「鶴のように自由で直感的な心の側面を補償する必要があるぞ!」
という意識の状態である可能性が考えられます。

ですが、今回の夢は、前の夢よりもさらに肯定的な意味合いを多く含んでいます。

今回の夢では、母と食事の用意をしていますので、母性的な心の状態によって心の栄養やエネルギーを蓄える用意をしている場面から始まります。

すると、また鶴が舞い降りてきて、部屋をめちゃくちゃにします。ここまでは、母性的な状態であること意外は、前回の夢と同じような描写を持っています。

ですが、鶴という人の言葉が分からないはずの生き物に対して、「話があるなら聞くよ」と話しかけます。この積極的な理解の態度を示すことで、鶴は意志の疎通が可能である男の子に変容します。

無意識下の、とり止めもないような自由で直感的な働きは、いまでは幼い男性的な要素(知的な判断力や決断力、理性や自立性、創造性、論理性、発言力、合理性、意識性など)に変容しています。
この男の子は、いまはまだ社会的に未熟で、あまり役の立たない男性的な要素ですが、将来は大きく成長する可能性を期待できる大切な要素であり、これから、ご本人が大事に育てていかなければならない男性的な可能性を象徴しているものと考えられます。

ですが、やはり、そんな心の要素もまた空腹のようで、エネルギーや栄養分を必要としており、足に怪我(現実を踏まえる能力に傷)を負っています。

ですが、ご本人(夢の中の自我)は、最近になって生じてきたその要素との付き合い方がよく分からないようで、
「この子をどうしよう」
と悩んでいるところで目が覚めます。

この夢は、全体的にとても肯定的な文脈を持っていますね。

このように解釈させていただきましたが、いかがでしょうか?

でめこ様

鈴木めいやさま

診断ありがとうございました。
お礼が大変遅くなり申しわけありません。

私は以前、海外に留学していた時期がありました。希望に胸をふくらませて行ったにも関わらず、自分の理想が高すぎたのか、夢を実現できず、不本意なかたちで帰国したのです。
そしていつかまた挽回して帰り咲いてやるぞと思い続けていたのですが、月日が経つにつれてそういった気持ちは薄れてゆき、日本の生活にどっぷりと浸かり、また海外に出ようなんていう気力もなくなっていきました。

あの夢を連続してみていた時分は、妙に今の私はこれでいいのか、自分の選択は正しかったのか、こんなはずじゃなかったんではないか、もっと上も目指すべきなんでは、などと思い、鬱々とした気分になったりしていたように思います。

そういう鬱屈とした気持ちが怪我をした鶴として姿を変え、夢に現れたということなのでしょうか。

治療をしようとするということは肯定的だということですが、実はまだやれると、どこかで思ってるところがあるのでしょうかね・・・。

鈴木めいや

でめ でめこ様、
返信を頂きまして、ありがとうございます。
夢と解釈のサイト、鈴木めいやです。

例えば、手塚治虫作品の火の鳥に登場する「火の鳥」や、グリム童話のヘンゼルとグレーテルに登場する「雪のように真っ白なきれいな小鳥」もそうですが、鳥は一般的に、人間の魂のイメージと関係がある場合があります。
そしてこの夢では、鶴ですので、“日本人である”ご本人の高貴な魂のイメージを象徴しているのかも知れません。
ですがそんな鶴は、空腹なので、食べ物(エネルギーや栄養)を欲しています。

「あの夢を連続してみていた時分は、妙に今の私はこれでいいのか、自分の選択は正しかったのか、こんなはずじゃなかったんではないか〜」

とのことですが、夢の中の鶴が空腹なのは、ご本人の、鶴であらわされている何らかの心の側面が、空腹であった、ということなのかも知れません。
そんな空腹の鶴は、実家の部屋という最も基本的な意識の領域を荒らしてしまうほど、食べ物(エネルギーや栄養)に餓えてしまっているようです。

ですがそこで、肯定的なことが起こります。そんな鶴が将来の発展に繋がる可能性を持つ「人間の子供」へと変容します。

確かに、「いつかまた挽回して帰り咲いてやるぞ」という気持ちは薄れてしまったのかも知れません。

ですが、それに必要であった“鶴で象徴されている何らかの心の働き”は、そのときにはもう、どこに飛んでいくのかも分からないような抽象的な鶴ではなく、自分の手で育てることが可能な子供に姿を変えているのです。

夢の中の子供は、ご本人が持っている“成長の可能性”を象徴する場合が多くあります。
ですが、足にケガを負っていますので、現実という地面に足を付けてシッカリと人生を歩んでいく能力に傷を負っています。
そしてそれは子供ですので、社会的にはまだまだ未熟ですが、愛情のそそぎ方によっては、どのような偉大な大人に成長するか分からない大切な要素といえます。

また、わたし達はだれでも、1人で気持ちを溜め込んでしまっているときというのは、誰かに話を聞いてもらうと気持ちが少しラクになることがあります。
言葉や文章、絵など方法はなんであれ、表現をする、ということは心の安定にとってとても大切なことです。そして、わたし達の無意識もこれと同じように、常にその時の状況を表現したがっています。

この夢が肯定的であるのは、単に、「足のケガを治療している」から、というだけのことではありません。
この夢が肯定的であるように感じたのは、おそらくこの夢を見ることによって、ご本人のいう「鬱屈とした気持ち」が少し和らいだのではないかと考えているからです。

無意識はそのときの状況を、このような夢によって表現し、意識はその表現(夢)を受け止めることによって心全体の均衡性がはかられた、ということこそが、肯定的なのだと考えています。

もし、無意識がこの夢を産出していなかったら、ご本人のいう「鬱屈とした気持ち」は、もっと重たくなってしまっていたのかも知れませんね。

この夢は、そのような元型的で肯定的なもののように感じました。

この度は、夢診断の依頼を頂きまして、ありがとうございました。

またなにか気になる点などございましたら、お気軽にご連絡をいただけたらと思っております。

でめこ様

鈴木めいやさま

夢診断、大変参考になりました。
ありがとうございました。

またご相談させていただくことがあるかもしれません。
その際はどうぞよろしくお願いいたします。
でめ でめこ

2010年04月16日 〜 2010年05月30日

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