夢判断13「クーデター」p2

  
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クーデター



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スズキ様
23歳 女性 一人暮らし 学生

タイトル/「クーデタ」

血筋は良くても実力はどうなの?という疑いの目でみてしまいます。
メディア受けしようとしているようにも見えて、私個人としては信頼できません。
ただ、この方の家は私が現在通っている大学に深く関わりのある方なので、そんなことを思ってしまうのはちょっと申し訳ないのですが・・・。」

と答えて頂きました。
もしこの解釈が正しいのであれば、あなたにとっての社会的な感覚の中枢部にあるのは、基本はそれなりにしっかりしていてエリートではあるけど、小物」という印象を持っていた、ということになります。そこで、守られていたその対象とは、そんなに頼りないものだったのだろうか? という疑問がうまれます。
そのとき私は、この夢が意味するものはもっと単純なのではないかと思い始めました。
つまり、一言で解釈すると、この夢は、「ご本人が持っている“その政治家のような男性性”の崩壊」のような描写を象徴しているものと考えられます。

人はだれでも、男性性(発言力、論理性、合理性、自立性、意識性)と、女性性(他人との関係性、受動性、自然物への愛、身体性、無意識性)の両方の傾向を持って産まれてきますが、広く一般的に、女性はその女性的な側面ばかりが発達しやすく、男性的な側面は劣ったまま無意識下に影を潜めがちになります。
つまり、夢の中の某政治家は、ご本人が持っている、劣った男性的な側面、男性性が人格化したものであり、その側面が、夢の中では、とてつもなく激しく批判され、攻撃を受けているのです。ですが、幸いにも、その劣った男性的な側面は、死ぬわけではなく、また、その屋敷が崩れて無くなるわけでもありません。 ただ、ひどく批判されて地獄の中にさらされるのです。

そこで、この夢を詳しく解釈する前に、もう少しだけ質問をさせて頂いても宜しいでしょうか?
もちろん、無理にお答えいただく必要はありません。

自分自身の胸の内を内省してみたときに、自分は、男性的な側面(発言力、論理性、合理性、自立性、創造性、意識性など)のような心の働きに自身を持てずにいるであるとか、劣等感を感じたことがある、あるいは、自己批判・自己嫌悪などのような精神的な経験をなされたことがある、など、おありでしょうか?

スズキ様

終盤のクーデターの場面が1番重要な意味を持つのですね。
夢の中に現れた物が何を象徴しているのか、心理学に基づいた解釈はとても興味深いです。

鈴木めいや

ご回答、ありがとうございました。
送って頂いた「クーデター」の夢を解釈させて頂きましたので、参考にして頂ければ幸いです。

【 夢判断 】
劣った男性性が追い出されることにより、新たな心の要素が生じることが示唆されている夢


この夢は、大きく分けると5つの場面によって構成されていますが、それらは総合的に、一つの心の流れとしてみることが出来るかと思います。

場面1)変わった先生が中学に赴任
場面2)以前住んでいた家に似ている一軒家
場面3)懐かしいお菓子のあるコンビ二
場面4)切符を買い、乗り物に乗る
場面5)クーデター、某政治家が非難される

場面1)まず、初めのシーンでは、中学校に変わった若い男の先生が赴任してきますが、あなたの中学校に対する連想では、
「中学時代はあまり良い思い出がありません。中学校を思い浮かべると切ないような苦しい気持ちになります。」
とあります。
つまり、夢の中の中学校は、そのような“切ない苦しいような気持ち”になっているときの、意識領域の全体をあらわしていて、赴任してきた先生は、そのような状態のときに起こり得るさまざまな危険から、なんとか生徒たちを守ろうとします。
その危険を回避しようとしている先生はというのは、ご本人が持っている“少し変わった”男性的な側面が人格化されたものです。
彼は、朝早くから学校に来て隅から隅まで備品の確認をします。これは、ご本人の男性的側面(つまり、発言力があり、合理的で創造的な側面)から、“切なく苦しい”ときの意識の状態を隅から隅まで確認し、その時に起こり得る精神的な危険を回避しようとしている、という心の描写をあらわしたものと思われます。
なんらかの危険を避けるためには、授業もハイテンションなものに成らざるを得ないようで、また、生徒たちに良い発言を要求せずにはいられないようです。
場面2)次に、学校が一軒家になります。
その家もまた、何らかの意識領域の全体的なイメージがあらわされたものだと思われますが、中学〜20歳まで住んでいた家に似ているということから、中学校よりもある程度自分の思い通りになるということから、普段の自分自身に近いときの意識領域をあらわしているのでしょう。
ですがそこでは女性2人とおじさん1人が自殺しようとしています。彼らは、ご本人の無意識下にある“その人たちのような”人格の側面があらわされたもので、彼らと一緒にいる私(自分自身)は、自我体系そのものをあらわしています。
その意識領域の中では、ガスが充満していて、いつどのようなきっかけで爆発するか分からないという、非常に不安定な状態にさらされます。
これは、こころ(情緒)が少し不安定になっているという心境をあらわしていて、おばさんがキムチのふたを開けようとしたとき、爆発すると思います。もしそうなったら、自我体系の象徴的な死に至る危険があって大変危険です。
なのであなた(自我)は3人に見つからないようにそっと窓から逃げていきます。(つまり、そのときの意識領域からそっと離れていきます)そして、雑草に覆われた庭を走っていくと、さっきの先生(ご本人の中の男性的な要素)が手に取り、一緒に逃げてくれます。
大きなフェンスを越えて土手を滑り落ちると、後ろから3人が猛スピードで追いかけてくるのが分かります。これは、普段、わたし達はだれでも、考えまいとして頭から離そうとしてもどうしても頭を横切るというようなことがありますが(例えば、受験勉強のときにテレビCMの歌が頭の中で流れていてジャマだとか)、そのように、嫌な心の要素から離れようとしても、向こうから追ってくるのです。
もしその3人に捕まったら、死をも覚悟しなければならなくなるかも知れません。
そしてその3人から逃れるには、おどろおどろしい濁った川を渡らなければなりません。一般的に、夢の中の川は、現在と新しい世界との境界線、あるいは、まったく異なった領域への境界線のようなものを象徴し、例えば、この世とあの世を区切る“三途の川”などが代表的ですね。
そして、おそらくこの夢の中の川は、“中学のときの切ないような苦しいような心の領域”から、“自分らしい安定しているときの心の領域”を、ハッキリと区切るものとしてあらわれ、自分らしい状態を取り戻すには、その川を越えなければなりません。
その川を渡っているときは、その変化の過程で起こる激しい情緒的な動揺のようなものを体験します。それも、再び同じような土手と川を越えなければならないので、それはそれだけ、普段の自分を取り戻すのが困難であったことを物語っているかのようですね。
ですが、無事、ゴールまで逃げ切ることが出来ます。切ないような、苦しいような心の領域とは「お別れ」することが出来て、周囲は明るく穏やかな風景となります。
場面3)舞台が変わり、今では、車に乗ってコンビ二へと向かっています。
さっきの追っ手3人は父母に代わり(死にたがっていた恐ろしい心の側面は、優しい保護者へと変容し)、そして、少し変わった男性的な側面は、仲の良い相方(従姉妹)へと代わっています。
そして、その車を運転していたのは父親で、あなたは後方に乗っているので、それだけ、あなたは物事を推し進めるのに、受動的な状態になっているということでしょう。自分の意志で道を決めて車を走らせているのではなく、進む道を、父親に任せているような状態にあるのです。
そして、夢の中のコンビ二などのお店は、ご本人が探し求めている何らかのものをあらわすことが多く、そしてそこには、「甘い愛情」の象徴であるお菓子がたくさんあります。
これは、「切ないような苦しい」心の領域から別れを告げて見つけたものは、“小さくて甘い愛情”ということなのかも知れませんね。そこで従姉妹と遊んでいると母は1万5千円もの商品を買っていて、驚きます。
これは、いままでは無縁であった心の栄養を、1万5千円分も買い込んでいる、というふうに解釈できるでしょう。
そしてそれは、自分のために薬を買っているようにも見えます。
この描写は、まるで、いままでの過酷な精神的過程を補償しているかのようです。以前まではポッカリと欠けていた心の隙間を、1万5千円もの商品を買い込み埋め合わせているかのようです。
薬を買っているように見えるのは、欠けていた部分を“治療する”というニュアンスがあるためではないでしょうか?
ですが、お金は、“心のエネルギーの交換”のような描写をあらわすことが多いので、父と従姉妹のくだりは、何らかの心のエネルギーを交換することがあまり上手くいっていよ、ということでしょう。
気まずい空気の中外に出ると、コンビ二は大きなデパートの駐車場になっています。これは〜

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