夢判断27「バスでの出来事」p3

  
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バスでの出来事p3



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Racco2go様
39歳 女性

タイトル/「バスでの出来事」

鈴木めいや

「ご本人の生活をより良いものとするために、“いままで持っていなかった未分化な心の働き”を、開拓しようとしている」
という解釈のほうが、より正しいように感じられますので、その観点から解釈していきましょう。

運転手さんに聞かれて答えたところによりますと、このバスは、シャルトルから乗ったということなり、シャルトルから出発して△△でおりることとなります。
連想にあるように、シャルトルとは、ご本人にとって在仏中に通っていた語学学校のある駅で素敵なお友達と出会い、キラキラしたイメージがあります。
つまり、夢の中のバスの出発地点は、ご本人が普段の生活でよく機能している意識の側面であり、もう既に分化・発達している心の側面(タイプの心理テストによると、おそらく主機能である感覚・感情機能の意識の側面)をあらわしていると考えられます。
そんな、より自分らしい状態でいられる心の側面から、バスという力強く前進するエネルギーによって、行ったことのない観光地に向かいますが、結果的には△△でおりることとなります。
はじめは目的地としていた観光地や△△の土地というのは、土地勘がない場所ですので、そこはもちろん、ご本人にとって今だに未分化で未開拓の心の側面(おそらく直感機能)をあらわしています。

わたし達は誰でも、自分にとってやり慣れていないことをするときというのは、日頃からあまり鍛えられていない未分化な心の側面を使うこととなりやすく、それは思いのほか難しかったりして、やり慣れている人から見ると、「何でこんな簡単なことが出来ないんだろう」などと思われることさえ有り得ます。

この夢は、より分化された心の側面(シャルトル)から、ほぼ未分化な心の側面までの険しい道のりが表現されていると解釈することができます。

そのプロセスを詳しく見ていくために、まず、この夢を、以下の6つの場面に分けてみます。

場面1.
郊外の観光地へとバスに乗り、元彼の勤務先がみえる

場面2.
大きなバス停に泊まると沢山の乗客が降りる

場面3.ガイドブックをめくり、なかなか見つからない(降車客が迷惑そうに「こいつは何やってるんだ?」)
そのうちの女性1人が「もしかして△△に?ならここで降りるんですよ」と教えてくれる。
運転手さんもイライラし、降りてタバコをすう。いつの間にか乗り込んでいた満員の乗客は大ブーイング

場面4.
バスは出発し、徐行運転。運転手は黒人男性。外を見てみると、日本人男性が走って徐行するバスの方にくる(堅固なコンクリートの壁全体を濃い緑の蔦が這って覆い隠している建物からきた)

場面5.
バスを降りようと、運賃を聞く「シャルトルからなら、6ユーロだ」と言われ、不満に思う

場面6.
その男性に、「私もここでおります。△△で待っててもらえませんか?」しかし断られ、去っていく。
降りると少し後悔し、そこで目が覚める

となります。

場面1.で、一度バスを乗り換えしなくてはいけないのは、それだけその目的地は、直接いくことのできない深い心の層であり、乗り換えが必要なほど、たどり着くのに困難な未開拓の心の領域ということかも知れません。

また、心理学では、基本的に、無意識(未開拓な心の領域)になればなるほど、わたし達にとって劣等で幼稚な性格を有している諸要素が多くあると考えられています。
そのために、場面1.で、元彼の勤務先がみえたのは、そんな未開拓の心の領域に入り込むためには、一度ご本人が持っている劣等な男性的要素(夢の中の元彼は、その連想傾向からも分かるように、ご本人の少し劣った何らかの男性的な性格の側面をあらわしている)と対峙しなくてはならないようで、夢の中の設定では、元カレの勤務先を通り過ぎ、その先にある場所となっております。

より自分らしくいられる心の領域(シャルトル)と、無意識的で未開拓の心の領域(目的地や△△)の2つの間には、元彼の勤務先という心像で表現するのがピッタリな、少し劣った男性的な心的諸要素の複合体が存在していると、ここでは物語っているのでしょう。

そこを開拓するためには、彼のような男性的な要素を振り返らなければならないようですが、その男性的要素と接触することができなかったようです。
このことは、実際に、目的地にはたどり着けなかった要因の一つなのかも知れません。

そしてそこを通り過ぎ、場面2.では、多くの乗客達が降りていきます。
この乗客達は、バスという公共の場(社会的な場)にいるときの、ご本人が持っている様々な心の諸要素をあらわしており、ご本人が持っている“彼らのような”性格の側面が人格化された心像だと思われます。
未開拓の心の領域へ向かい、今までには無かった側面に意識を切り替えるためには、一度、いままで持っていた(既に分化されている)心の要素は、手放さなければならないようです。

心理学では、思考と感情、感覚と直感という2つの意識の働きは、お互いに相容れない関係にあり、どちらか一方が意識領域で働いているときというのは、どちらか一方が、無意識の影に沈んでしまっているときであると考えられています。

というのは、例えば、会社の会議中、難しい話をしているときというのはヘラヘラと笑っている人など一人もいないものです。わたし達は誰でも、主観的な感情が入り込むと、客観的に物事を考えることが出来なくなるからです。

例えば、遊園地でキャッキャとはしゃいで楽しんでいるときというのは、難しい話など誰もしないものです。わたし達はだれでも、客観的な思考が入り込むと、せっかくの楽しい主観的な感情が意識領域から消えうせてしまい、無意識の影に隠れてしまうからです。
そのような事実から、思考と感情はお互いを打ち消しあうような関係にあると考えられていて、それは直感と感覚も同じような関係にあります。

つまり、いままであまり発達させてこなかった側面(おそらく直感)を開拓するために、既に分化・発達済みの側面(おそらく感覚)を手放さなければならなかったようで、多くの乗客達が降車してしまうのです。

「あまりにも大勢の乗客が降りていくので心配になり」

とありますが、それはある意味当然のことと思われ、彼らがいなくなることで、そのときのご本人らしい、「自分らしさ」のようなものが消えてしまう可能性があります。

そして場面3.では、そんな不安から、バスの運転手(力強く前進する心のエネルギー全体の主導権を握る、頼もしい性格の一つの側面)に、ガイドブックを見せて聞こうとしますが、付箋のついているページをめくっても目的のページが出てきません。
そこで、ご本人の不安な気持(夢の中の自我)と、ご本人の中にあるもう一方の気持(早く未開拓なゾーンへ進みたいというバス全体の雰囲気)の2つの間に、摩擦のような状況が生じてしまいます。

その心の状況が、迷惑そうに、「こいつは何やってるんだ?」という目で見られたり、運転手がイライラしてタバコを吸いに出て行ってしまったりというイメージで表現されています。

バス(遅くはあるが確実に進む力強い心のエネルギー)は、前に進みたがっているにも関わらず、自我にとっては、それは困難なことであり、不安なことですので、夢の中の自我(私)と、バスで象徴されているエネルギーの2つの側面が対立しあい戦っているようです。

そのとき、声をかけてきてくれた日本人女性は、この夢の文脈から考えると、セルフの元型的なイメージに近いものと考えることも出来ます。
例えば、グリム童話や世界中の昔話を読んでいると、主人公が困難な状況に陥ったときには、よくその状況を助けてくれる崇高なイメージの人や動物が登場する場合があります。
この元型的な働きによって、いつも主人公は救われて、ピンチに陥っていた心の全体の均衡性が整うのです。

もしこの夢の中の日本人女性が、そのセルフの心像であると仮定すると、困ったこの状況に彼女(セルフ)があらわれて、妥当な判断に導いた(目的地よりかは未分化ではない中間地点でおりるように勧めた)とも考えられます。

おそらく目的地は、ご本人にとってあまりにも無意識的で未分化な側面のため、そこにたどり着くことはかなり困難なために、彼女(セルフの心像)があらわれたのかも知れません。
その日本人女性によると、その△△には、なにか色々なものがあると言います。

あるいは、もしそうでなければ、彼女は元型的な影の心像(ご本人が育ててこなかった影のような女性的な人格の側面)である可能性もあります。

そして場面4.では、バスは徐行運転をしていますが、ここはまだ△△の心の側面です。ここは、目的地よりかは、まだ少しは開拓可能な側面ではあるが、困難なことに変わりありません。
そのときの主導権を握るリーダーが女性〜

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